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「原三溪記念室」「もえぎの里」(岐阜市柳津町下佐波西1丁目15番地)

JUGEMテーマ:岐阜県

 

原三溪記念室
令和元年5月31日に訪問

岐阜県には、斎藤道三や明智光秀など有名な偉人がいますが、よく知られていません。 原三溪も活躍した場所が横浜であったことから、県民でもはほとんど知られない存在です。
しかし、原三渓の生きた内容を見れば、岐阜出身であることに誇りが持てるかと思われます。
原三溪は、三井財閥から富岡製糸所を得て、戦前の生糸の輸出に尽力をし、日本の経済を支えた人です。経済人であるばかりか、多くの方面に社会貢献を行った人です。現在は三溪園(横浜市中区本牧三之谷58-1)をつくり、公開されています。
原三渓のは(1868年10月8日) - 昭和14年(1939年)8月16日)(1868〜1939)美濃国厚見郡佐波村(現・岐阜県岐阜市柳津町佐波)の庄屋のに生まれ、東京専門学校(現・早稲田大学)を出て、横浜の亀屋で活躍しました。


1885年18歳 東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学ぶ。
1891年(明治24)横浜の生糸商原善三郎の孫娘、原屋寿(はら やす)と結婚し
    横浜で一二を争う生糸売込商「亀屋」(翌年、原合名会)の家業を継ぐ。
1902年 富岡製糸所を三井から手に入れ原富岡製糸所と改名する。
    三溪園の造成を始める。
1903年 蚕種(さんしゅ:蚕の卵)の配布を始める。
1906年 原富岡製糸所で蚕種の無料配布を行う。

この原三溪記念室では、原三渓の実業家という面ばかりか、多様な活躍がわかる貴重な品物や記事があります。原三渓の生き方を知り、されに岐阜を再認識できるものと思います。
来年のNHKの大河ドラマは「麒麟がくる」です。司馬遼太郎の「国盗り物語」は、明智光秀を裏切者の視点でなく、光秀の視点から作られた作品で、光秀を誇りに思うことができるものでした。
今、岐阜が熱くなる時がきました。

 「原三溪記念室」は「もえぎの里」(岐阜市柳津町下佐波西1丁目15番地)の2階に平成28年10月8日に設置され、まだ3年ほどたっているだけです。

  • 2019.06.18 Tuesday
  • 18:52